大甕倭文神宮 現在の大甕神社に久慈村の(現・茨城県日立市久慈町)古文書によると、
正徳3年(1713年)当時に大甕神社久慈村の役員総代の欄に小泉金兵衛の名前があり、大甕神社朝日神官によれば更に百年以上は、小泉の姓を名乗り(武士でなくとも当時、久慈村の総代役員であれば、名字を名乗ることが出来た)代々、小泉金兵衛を名乗り、屋号も金兵衛屋と称してきました。当時から漁業・農業を営み、明治・大正・昭和、海産物加工業と、時代とともに発展していきました。現在も日立市久慈町地内では屋号・商号が存在し現に半数以上が呼ばれています。(久慈町郵便局の配達員などは屋号・商号を利用して効率を上げている)
曽祖父(明治三十五年生まれ)・小泉徳次が海産物加工業を継承して数十年にして、金兵衛屋の屋号はこれからの時代に合わないということで、自分の名前の徳次の徳をとって金徳と商号を改めました。その後、砂利・砂採取業を始め、金徳商事と命名し、昭和五十三年に生コン製造販売業を始めその後、株式会社金徳商事として現在、地域の皆様にご愛好いただいております。
会長:小泉 浩也
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